Wednesday, 4 November 2009

アンコールワット



前の続きです。

同じ学校で小さな図書館をペイントしました。いろんな動物を描いたり、なにかクラスが一致団結してやり遂げた瞬間でした。

その後アンコールワットのあるSiem Reapに到着。

アンコールワットはとても偉大でした。門をくぐって建物が見えた時は息をのむというか、どうしてこんなにも偉大なものがあるのだろうと思います。建物を囲む壁にはすべて物語を語る像が彫られていて、中に入ると本当にしっかりとした柱やヴィシュヌ像、上へと続く急な階段が歩いているだけで「アンコールワット」という偉大な建物を感じます。それは階段を登った後の疲労感だったり、自分の目でそれを見たときの感動だったりします。

観光を終えた後はHappy Family/Kruosa Rikreayという孤児院へ行き、またそこでも壁にペイントをしました。4日間かけて描いた絵は無事に作業を終えることができました。最初自分たちが訪れた際には子供たちはびっくりしていましたが、時間がたつにつれ仲良くなり、最後は出発の日が来ないでほしいという思い出いっぱいでした。

カンボジアにある孤児院の中でも貧しいほうの孤児院だったので、おもちゃ、服、教材とかとにかく「物」が足りません。なので、ある日クラスの友達と一緒に車のおもちゃを買いに行きました。1つ100円もしないくらいで買えました。15個すべて子供たちに与えるとみんないっせいに遊び始めて、この国でほんの小さなお金で出来る大きなことを学びました。

最終日には孤児院にいたみんなに服とズボンと靴をプレゼントしました。こちらフロリダで出発前にみんなで集めたお金で全員分買えました!
まるでファッションーかのようにふるまって喜んでくれて、笑顔は絶えず、喜ぶだけでなく、自分たちへの感謝も彼らは決して忘れませんでした。ひとりひとり丁寧にオクーン(ありがとう)という姿は感動的というか、物のありがたみというのを忘れていた自分にとってとてもいい経験になりました。そして、なにより喜んでくれて本当によかった。

Tuesday, 3 November 2009

テニスと子供たち/Tennis In Cambodia



「テニス」をカンボジアのある学校に持って行きました。

小さいときからテニスをやっていて、現在も大学のチームでプレーをしていて、このスポーツは自分にとって欠かせないスポーツなのです。小さいときから喘息持ちだった自分は健康のためにあらゆるスポーツを試しました。ラグビー、スイミング、そしてテニス。

テニスは小さい子供からお年寄りの方まで、そして足の不自由な方も、みんないっしょに楽しめるとても健康的なスポーツだと信じています。テニスに目を向けてもらえばわかるように、12歳以下から90歳以下までのテニス大会が全国で行われており、車いすテニス、そして健常者と車いすの方がダブルスのペアになってするニューミックスもたくさんの方々に楽しんでもらっています。

自分はアメリカの大学にいってることもあり、さまざまな国の人とテニスをします。
たとえば海外でも国内でも初対面でお会いした人とテニスを通じて親交を深めることもありますし、いろんな国の選手とプレーすることによって、いろんな友達ができたりします。

その楽しさを少しでも味わってほしいという願いからテニスをカンボジアにもっていきました。

もっていったテニスの簡易ネットを組み立てている途中に、みたこともないのに興味がある子供たちがたくさんよってきて、「いったいテニスを楽しんでくれるだろうか」という不安でいっぱいでした。

組み立て終わってテニスの出来る友達と一緒にデモンストレーションをしました。
簡単なボレーボレーです。

みんな物音立てないで静かに見てました。

いよいよ今度は子供たちにラケットを持たせる番。
ラケットを持つと今度はボールを持たせてさぁ開始。

最初はなかなか思うようにボールを打てなかった子供たちですが、10球も打てばもうボレーボレーは続くようになりました!

そして、ボールを一生懸命見て打つというテニスの基本を彼らは決して怠りません。その目はまるで1球1球を楽しんでいるようでした。

笑顔はボールを打っている間は一切ありません。すごく真剣なんです。

しかしミスしてラリーが途切れた時や、友達がテニスをしてるのを見ている子供たちには笑顔が絶えませんでした。

テニスを知らなかった人がこうして初めてラケットを握ってみて、ボールを打ってみて、楽しんでくれる時、この瞬間に「いままでテニスをしてきてよかったなぁ」と思います。

試合で勝った時の喜びとは全く違う。

Monday, 2 November 2009

カンボジア/Children's Issue In Cambodia 2

その後、親の事情で育てられなかったり、親を亡くした孤児たちの施設へと訪れました。
そこの孤児院には生後数カ月の赤ちゃんから小学生の年代の子供までいます。
どこにいっても子供たちは遊びたいんです。
ほんとに無邪気に走り回ったり、ボールを追いかっけこしたり、ちょっかいだしあったりして。
一緒に遊んであげることの大切さを学びました。

でもバイバイしないといけないのはつらかったです。
ずっと遊んでこの子たちをずっと笑顔でいさせてあげたいという感情が自然とわいてきてます。
今でも自分たちが帰る際の子供たちの目が忘れられません。
この子たちは親の手から離れた子供たち。「やっぱり、置いてかれるのか。」と思う子がいないとは言い切れません。

その次に向かったのはCCPTRという女の子だけの学校。自動売買を経験した女の子が集まっています。
みんな笑顔で自分たちに接してくれました。授業で習っていることを教えてくれたり。
ひとり、耳と口が不自由な女の子がいました。
みんなが2階で楽しんでいる時に自分は一人だけ1階で教室を見回していました。するとその女の子がやってきて彼女の描いた絵を見せくれました。すごく上手でした。絵を描くということが彼女の表現の表し方なのでしょうか。
最初は全く障害があるなんて思っていませんでした。しゃべらず、ただ指で「これがどうこう」という絵の説明をしてくれて、ただ英語がまだ話せないんだなぁって。でも次第に障害があることに気がつきました。
聞くところによると、過去の経験でショックを引きずり、耳と口が不自由になったそうです。

なにか思い出に残ることをしてあげたく、クラスみんなで自分たちの似顔絵を描いてそれを彼女にプレゼントしました。そのときにみせてくれた彼女の笑顔はとても美しく、そして彼女自身の絵を自慢する時の笑顔もとても美しかった。

Saturday, 31 October 2009

カンボジア/Children's Issue in Cambodia






2009年1月5日より1カ月間、カンボジアでボランティア活動をし、たくさんの子供たちと接してきました。エッカード大学は1月の冬学期に海外で勉強ができるプログラムをくんでいます。世界中のいろんな国に参加できる中でカンボジアを選びました。先生1人、生徒は僕を含めて16人。






カンボジアではいろんなものを見ました。そしていろんな感情が湧いてきました。
それは喜びだったり、悲しみだったりします。

トゥール・スレン(S21)はポル・ポト時代、1970年代に拷問のために使われた収容所です。収容所としてつかわれる前は普通の高校としてつかわれいた建物はその面影を一切消しました。拷問に使われた鉄棒が残っているくらいです。建物すべてがまだ有刺鉄線で囲まれていて収容されていた人達の緊張感が伝わってきます。
キリングフィールドはその収容所から毎日連れてこられる何百人もの人を虐殺(ジェノサイド)したところで、いまでもカンボジア国民を殺すために使われた「くぼみ」が残っています。入るとすぐにきれいな建物が建っているのですが、それは実はそこで殺された人たちの慰霊碑。何千人もの頭蓋骨がおさめられています。
カンボジアにはなかなか信号がありません。車も人もバイクもごっちゃになって道を使っている感じです。道を渡るのもその場の雰囲気という感じで、交差点も突っ込んでいかないとなかなか通してくれません。きっとこの国ではそういうことがいまのうちはなんとかなっているのでしょう。

その後ECCC、カンボジア裁判所に行きました。世界で一番大きい裁判所と言われています。

ある日の夜にメコン川をみんなで船に乗ってクルーズしました。そこから見える景色はきれいでしたが離れた島に近づくとそんな感動には浸ってられませんでした。まさに川で洗濯をしている生活がそこにはあったのです。でもそこで生活している人は全く悲しそうではなく、今あるこの生活を思う存分に楽しんでいるように見えるのです。船から手を振れば笑顔と一緒に手を振り返してくれたり、「ハロー!」という大きな声も聞こえます。

着る服もない子供もいます。それでも子供の本能なのか川で遊んだり、砂で遊んだり、やっぱり子供たちは遊びたいんだなぁと思いました。

その離れ島から見えるサンセットはとてもきれいでした。川が金色に輝き、そこで漁をしている漁師さんはとても勇敢にみえました。

TPOはカンボジア・プノンペンにあるカウンセリングセンターです。あの虐殺から立ち直りつつあるカンボジアですが、それでも子供のころに親を殺されたつらい思い出というのは彼らの心の中に残っています。なのでカウンセリングというのはこの国ではとても必要とされています。しかし現状は難しいもので、カンボジア人にあったカウンセリングの仕方などがはっきりとリサーチされていないため、まだまだ時間がかかるようです。

その後、Smile of a Childという学校を訪れました。
そこではゴミ捨て場(ダンプ)で暮らす子供たちがいろんなことを学びに来ています。朝と夜はゴミを拾い、それを売ってお金を稼ぐ。お昼は学校に行って、フランス語、英語だけでなくウェイトレスの訓練、ホテルのボーイさんなど、将来のために役立つ勉強ができます。

そして、実際その彼らがゴミを拾う場所、「ダンプ」へと向かいました。近くなると臭いがし、何百匹ものハエが自分たちによってき、目も開けられません。そして実際にゴミを集めている人がいるところに着くとそこはまさに想像もしてなかった場所でした。それを目の当たりにするということは人生で一番ショッキングな場面でした。老人から子供まで、みんな必死にゴミを集めています。ゴミを集めている間、収集車に巻き込まれて死んでしまうこともあります。信じられない光景でした。同じアジアの国のひとつ。その国に住んでいる人の中でこうして1日1日をなんとか生きている人たちがたくさんいるのです。

とても美しい国で、美しい人たちですが、この「ダンプ」のような事実もあるのです。

おひさしぶりです。

長い間なーんにも書いていませんでした。
フロリダ・エッカード大学に通って3年がたち、入学して以来いろんなことを学んできました。
1年生の時の自分とだいぶ変わったことに気付きます。
このブログではその学んできたことのほんの一部を書き、多くの人に読んでもらい何かを感じてもらえれば幸いです。

Friday, 9 May 2008

oh, about letters, and teaching plan.

Yes, I wrote letters to three organizations I picked and I sent them...

and...about teaching plan...I made a board game that might be little bit difficult for 5th grade children...but I did it on purpose because I want them to learn.

Thursday, 8 May 2008

Timed writing...

Through the experience of project three, I was able to receive a lot of useful advise from many people such as my friends, my family, classmates, an unknown person who gave us the example, and professor. Without their help, it was impossible to create and finish this last project in this class. Not only I learned about how to write a letter to the organizations I chose but also I was able to experience to feel human’s warmness through project three.

I probably was not able to pass a trial to work on project three without any advice that a lot of people gave me because I encountered difficulties to think what I was going to write a letter about and what teaching plan I would have for fifth graders. Since I was in trouble to come up with the idea of letter, I really needed someone to advise me. One day, when I walked in to the classroom and sat down on the same spot as usual, my professor gave me the example of letter that someone wrote before. And during the class on that day, she talked about many helpful things so that I could finally start writing three letters to the organizations. As Campbell said in his book, these advises were Supernatural Aids to me. According to Campbell, guardians are the people who enable a hero to pass a danger with amulets and these figures have the guiding power. In my case, guardians are the professor and an unknown person who wrote a letter before, and they gave me, a hero, amulets to save me from failing this class. So, I do not think that I would be able to finish writing letters without the Supernatural Aids.

I also was suffering to create a teaching plan for my project three. Since so, I called my mother that I suffered so much and needed what she thought. Even she only said a few thing about my teaching plan, she was also my Supernatural Aid and gave me a good idea. After the conversation between us, I next talked to my friends and they were very eager to think what would be the best plan. They, too, gave me some useful advises and I finally decided what I was going to create; a board game. After I finished making it, I showed it to my friends who helped me and they were very impressed what I achieved. Also, I called my mother that I was able to create a board game for my teaching plan because of my friends, and she was very proud of me. Then I felt like returning with the Elixir which Vogler explained. I was in a special world to create a teaching plan and I finished it with having something powerful that I could tell everybody proudly. In fact, all people I told about it were proud of what I have done.

In conclusion, I faced many difficulties to do the project three. However, I was able to pass these trials because of the amulets from human hearts and through this experience, I felt that I returned to the Ordinary World with having Elixir.